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読了:戦場のコックたち (Armed with Skillets), 深緑野分 [読書日記]

* 戦場のコックたち (Armed with Skillets), 深緑野分, 東京創元社, 9784488453121

第二次世界大戦の欧州西部戦線を舞台にした「戦場の日常の謎」を扱ったミステリ小説。2015年の作品で、2016年度の「このミス」国内第2位など。深緑作品は初読である。

帯紙はこんなである。「生き残ったら、明日は何が食べたい? 1944年、若き合衆国コック兵が遭遇する、戦場の“日常の謎”」
そして表紙絵は、アルミ?の飯盒的な簡素な食器に盛られたビスケットやらスクランブルエッグ、ポテトにハム、それに兵員が身に着ける認識票がポップなイラストが描かれている。

まぁなんだかんだ言って、戦場を舞台に借りたホンワカした謎解き&多少のグルメミステリといった感じだろう、と思って読み始めたのだが、、、その読みは良い方向に裏切られた(と言っていいのか?)。そもそも扉の登場人物一覧がやたらと大人数なのは、ちゃんと理由があるのだ。

プロローグとエピローグとに挟む形で、物語は5章からなる。第一章「ノルマンディー降下作戦」。ノルマンディーといえば上陸作戦なわけだが、主人公のティム君は落下傘部隊所属というわけだ。えてしてものごとは計画通りには進まないものだが、しかし僥倖にも恵まれて自分たちの部隊へ合流できたティム君ほか数名、命を受けてさっそく兵站作業に取り掛かるのだが・・・、というのがイントロ部分。この時点で既に敵兵士との殺し合い含めて、人が何人も死ぬ。描写も結構えげつないなぁと思いながら読んでいくと、まぁまぁうまそうな料理描写とともに「日常の謎」の提示。ティム君は同僚のエドほか数名とともに謎解きに頭を悩ますのである。戦場でそんな悠長な謎解きに頭を使う暇なんて?と思うなかれ。そんな謎に彼らが取り組むモチベーションは、平時には思いもよらぬものなのだ。このあたりから、・・・ホンワカじゃないなぁ、というのをひしひしと感じ始めた。日常の謎は無事に解明され、やれやれめでたしめでたしと思っていたら、戦時中ならではの悲惨な事態が勃発し、この章は幕を閉じる。

第二章は引き続きノルマンディー地方が舞台。またまた日常の謎に取り組んだ結果、今度は戦争がというより過去数世紀の白人の原罪、のような話に落ちていく。いや、これもなかなか重い。西部戦線を舞台にすれば、当然ナチスドイツの話がからむので必然的ともいえるわけだが、やはり重い。これがたかだか半世紀前のアメリカの実態だ。

第三章も有名な西部戦線の作戦遂行の話。これが負け戦というのを後世の我々は知っているので、あらかたどういう展開かも想像がつく。そして読んでみるとやはりというか、第二章の続きをも成す大変な結末だ。第四章はさらに戦況が進んだ段階。長引く戦闘によって死んだり負傷したりその他の理由で仲間はどんどん減っていき、コック兵が主人公なのに食べ物シーンがどんどん貧相になっていき、そして・・・という展開が待ち受ける。第五章は「戦いの終わり」と題されるとおりナチスが降伏し、とある伏線の回収が行われるのだが、これまでの展開からも想像できるように素直にきれいに終わるわけがないのである。

読み終えて、これは本当にミステリなのか?という気持ちもある。著者も巻末に書いているように、歴史的事実を下敷きにしたうえでのフィクションであることは確か。そのうえで「日常の謎」に取り組む登場人物たちを描いたという意味で、ミステリだといえばミステリといえる。なのだが、著者としては、戦場の兵士が日常の謎に取り組むとしたらそのモチベーションって何?というところを読者に考えさせたかったのか?とも思える。その意味では、8月初旬に文庫を書店に並べた東京創元社は、なかなかいいポイントをついた企画を走らせたわけだ。

戦場のコックたち (創元推理文庫)


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読了:ジェリーフィッシュは凍らない (The Jellyfish Never Freezes), 市川憂人 [読書日記]

* ジェリーフィッシュは凍らない (The Jellyfish Never Freezes), 市川憂人, 東京創元社, 9784488406219

2016年に鮎川哲也賞を受賞した本格ミステリである。市川作品は初読。
帯紙には「そして誰もいなくなった」「十角館の殺人」と、ミステリ好きの目を引く単語が並ぶ。これだけ煽られたら、版元の策略だろうとは思いつつも読まずにはいられないでしょう。

目次を見ると、舞台は1980年代のようだ。数日間の時間差をおいて過去と現在をいったりきたりしながらストーリーが進む様子。ほほぅ、携帯電話がない時代なわけねー、などと思いながらページをめくっていくのだが、どうも聞いたことのない画期的航空技術が普通に描写されている。過去とみせて実は未来の話じゃないよなぁと思いながら読み進めていくと、この技術以外は、どうやら我々の知っている1980年代であるようなのだ。SF読みでもある自分としてはなかなか面白い設定。ちなみに携帯電話網に限らず、30年後には実用化されているいくつかの技術が当時は使えない、という趣旨の説明がところどころで挿入される(若い読者向けの作者の親切心だろう)。

そうこうしているうちに、登場人物たちの性格やら関連性の描写が進み、そしてなんとなく予想していた形で第一の死人が登場。帯紙のオマージュからいくと連続殺人が勃発するはずだが・・・と思う間もなく二人目が死亡。並行してもう一方の時間軸でも事実関係が少しづつ明らかになっていくのだが、しかし両者には微妙な齟齬・・・、といった形で、話が進むにつれ着々と謎が謎を呼ぶ展開。

・・・で、読み進めながら「あれ?」と思うポイントもいくつか出てくるわけだが、それは驚愕の結末へのお楽しみなのである・・・。

いやはや~。もう本当にしっかり読み直しましたよ、あちこち拾いながら。しかも拾うべき観点が1つじゃない。もっとも、帯紙の惹句に引きずられて、実は〇〇は〇〇してないんじゃ?とか、〇〇できないというのは盲点があって実は?とか、頭の中が脇道へ逸れたのは私だけではないはずだ。

楽しめました。しかしまだこんな形が残っていたんですね。本格ミステリ恐るべし。

ジェリーフィッシュは凍らない (創元推理文庫)


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読了:「昔はよかった」と言うけれど : 戦前のマナー・モラルから考える, 大倉幸宏 [読書日記]

* 「昔はよかった」と言うけれど : 戦前のマナー・モラルから考える, 大倉幸宏, 新評論, 9784794809544

とにかく最近の日本人の道徳観の低下がひどい!昔はそんなことはなかったのだが。。。というありがちな論説を歴史をさかのぼって分析するという趣向の教養本である。2013年の著作。

本書では触れていないが、認知科学的に一般論で語れば、これは人類誰もが持っている認知バイアスがその原因ということであろう。自身が体験した過去の記憶は美化され、都合の悪い記憶は意図せずとも忘れてしまう、と。もっとも、そんなロジックを語っても市井の人々の心には響かない。そこでこの著者は、戦前や明治大正の記録(新聞記事であったり各種論評であったり)を引用し、冒頭のような主張はまったく的外れであり、少なくとも「最近の若者は・・・」並みに根拠がない、ということを示そうとしているのだ。

まず第1章は、鉄道施設における人々のとんでもない行動について。
電車のドアが開くや否や、降りようとする者には目もくれずに我先に乗り込もうという者が押し合いへし合い。無駄な労力をかけた挙句に電車は遅延、混雑はさらにひどくなるという結果だ。ちなみにこの現象については寺田寅彦も随筆の中で嘆いていて、当時としてはかなり一般的な状態だったようである。
かくいう自分も、昭和末期ごろの夜行列車(全車寝台ではなく座席車両が多数連結されているタイプ)に両手で数えるよりは多い回数乗車しており、終着駅に近づくにつれて車内で敷物にしていた新聞紙やら捨てられた弁当ガラなどで、車内がゴミ溜めのようになっていくのを目の当たりにした経験があるので、本書で引かれている戦前の状況も理解できる気がする。

個人的にはもうこの章だけで読みごたえとしては十分なのだが、第2章以降、公共の場での不道徳行動、職業人の低モラル、児童虐待、老人虐待、適当すぎる子供のしつけ、などなど、「昔はひどかった」というしかなさそうな事例の列挙にだんだん暗澹たる気分になってくるという調子。そして極めつけはあとがきに引用される「徒然草」第22段の一節がこれ。

  何事も、古き世のみぞ慕はしき。今様は、無下にいやしくこそなりゆくめれ

おそらく日本人、というより人類は、永久にこの概念から逃れられないのでしょう。

「昔はよかった」と言うけれど: 戦前のマナー・モラルから考える


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